サルヴァトーレ・グリーノ
サルヴァトーレ・グリーノのアプロプリエーション・アート
Salvatore Gulino
ルノワール、セザンヌ、ボッチチェリ…
この絵を見たら彼らは驚き、
心から楽しむに違いない
彼の作品に登場するのは、どれも馴染み深い、美術館や教科書で見たことのある主人公たち。
ルノワール、モジリアニ、・・・油絵の歴史を彩る中世から近代の美しい女性たちだ。
しかしよく見てみると、彼女たちがたたずんでいたのはヤンキースタジアムや、ディズニーランドだった。
大歓声の中、たたずむ美しい婦人
©Salvatore Gulino
ディズニーランドのデート
©Salvatore Gulino
その細部までこだわる超写実主義には驚かされる。
美しいビロードのドレスを身にまとい、日傘をさす女性が
まじめにマクドナルドで並んでいる姿に思わず爆笑してしまった。
「たいがい客は作品の前では尊敬の念を表し、心の中で笑うんだ。
君は絵の前で大声で笑ったな。正直者だ」
そう言って彼は、小さい子供にするように私の両側の頬をぎゅっと指ではさんだ。
リノは今日まで40年間絵を描き続けてきた。現在のこのスタイルを発表したとき、批判も受けた。
「こんなのはアートじゃない」
「オリジナルじゃない」と。
しかし彼は止めなかった。
やればやるほどもっと描いてみたい衝動に駆られていた。
「なぜ絵を描くかって?朝起きた時に呼吸するかどうか決めてから呼吸するかい?」
そして
「アーティストはいつもリスキーな世界に足を踏み入れているものだ。
自分の人生をすべて対象物に注がなければならない。
そうしなければ生きてゆけないのがアーティストなんだ。
"Do it or don't do it."やるか、やらないかは自分で決めることだ」
と片目をつぶって言った。
みんなこのピザ屋に行きたがるだろう
©Salvatore Gulino
1978年ニューヨークのホィットニー美術館で開催された”Art about Art”では、ある種実験的なテーマが提言された。
ロイ・リキテンスタインやアンディ・ウォーホル達は、歴史的アートであろうと、ポップカルチャーであろうと、そこに居たモノを「借りてきて」新しいビジュアルアート(視覚芸術)の中にその存在を表したのだ。
それをやり遂げた姿勢は大いなるチャレンジ精神と、オリジナルを讃える気持ちで溢れていた。
その20年ほど遡る1950年代、
ピカソはモネやヴェラスケスをモダニズムの中に生き返らせたのだった。
ピカソほど既存の美を破壊した巨人はいないが、
と同時に彼は非常に過去のアートに深く心を結びつけている、といった二つの顔を持っていた。
そのピカソの作品のタイトル、
"Maids and Honor, after Velazquez (1957)"
"Luncheon on the Grass, after Manet (1959-62)"
からわかるように、過去の大先輩の作品名で自分の作品のソースを表した。
日本の浮世絵師、葛飾北斎の大胆な構図や色彩をモネやセザンヌ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャンたちが
夢中になって自分たちの絵のなかに取り入れたのも、
半世紀以上前のエキゾチックな遠い国のアーティストに憧れ尊敬し、今生きている時代の最前列に座らせたかったに違いない。
モネやセザンヌたちがオリジナルなモノを持っていなかったからではないはずだ。
1980年代からこのテーマは、
Appropriation Art (アプロプリエーションアート)
という大きなくくりとなった。
美術歴史家やアカデミックな美術院会員、美術批評家は1つのムーブメントとして言及している。
リノとアートの話をしていたのがいつの間にか、ナレーターとして活躍する娘と、最近怪我をした孫娘の話になった途端、涙をぽろぽろ流し、鼻をかみながら写真を見せてくれた。
絵を愛し、家族を愛し、ジョークを愛する熱いシシリーの男がそこにいた。
彼は今日も、ルノワールの優雅な女性をスポーツカーに乗せるか、ジュークボックスの前に立たせるか真剣に向き合い、熟慮している。
リノのウエブサイト
http://www.salvatoregulino.com/