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ブログ 95歳のつぶやき 時間

ブログ 95歳のつぶやき 時間

主人の父は95歳。

最近父との会話がかみ合わない。彼が発するのは主語述語もなくなって、ただ単語が連ね並べられて出てくる。
本人はちゃんと何かを言っているつもりだから、時々「なっ?」とか「そうだろ?」
と私に聞くのだが、返答に困る。
「一日いちにち 佐賀・・・」「一銭 高さ・・・」「自動車 せんべい売ってる おもち」
と言われたところで、何を答えようかわからないから、私の答えは「そうだね」のワンパターンだ。
最初は「えっ?おもちって何?」と聞いていたが、父は「もういいよ」と言って会話は終わる。 

そして更に困ったことに、以前に増して時間軸がふわふわしている。
父が大好きな安倍総理の故郷、長州藩のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』が毎週日曜日にあることが、彼の中でわからなくなってきた。
番組の間のスポットで流れる『花燃ゆ』の宣伝を見ると、今晩やると思ってしまう。

父「おい、『花咲く』何時から?」
私「お父さん、『花燃ゆ』でしょ?あれは日曜日。今日はまだ水曜日です。今日はやりません」
父「うそだろ?NHK宣伝してるのに・・・」
この会話が大体5~6回繰り返されて、やっと日曜日がやってくる。
夜8時、父はテレビに釘付けになって『花燃ゆ』を見終わった1時間後、
父「あれ?『花咲く』は?オレ見てた?もう終わっちゃったの?」
私「・・・・・・」
『花燃ゆ』を実際の見ている時よりも、待って待って、待ちきれなくなっている時間の方が父にとって意味が有るのかもしれない。

そして今日は、曹洞宗の30才になる若い修行僧が、総持寺の修行を終え実家のお寺に帰ってきた様子をテレビで見ていた。
父は15年~20年前、鎌倉の円覚寺で早朝から禅の修行に毎日通っていたことがあった。テレビに出てきた彼が、その時にいた修行僧にそっくりだ、これはあの人だと言い出した。
父「立派な雲水になったなー」
私は「んなわけないでしょ?」と心の中で突っ込みを入れた。
第一、円覚寺は臨済宗、この人は曹洞宗。
20年前だったら10才そこそこの子供でしょ?おかしいでしょ?と心の中で言い返しながら急に思った。
この時空のねじれ感は村上春樹の小説を読んでいる感じ、と思えばいいんじゃない?
人にとって、意味がある時間は過去だったり、今だったり、未来、みんな違うはずだ。そしてそれぞれの目に見えるものだけが全てではなくて、背後に隠れているものにもそれぞれ違う重みがともなう。
私がおかしいでしょ?と思うことが、父にとってはリアルな現実なのだ。私が真剣にそれは違うと否定しようとすると、摩擦と混乱とストレスを招く。
昼食を食べた、食べてない、お風呂に入る、入らないで、父が現実と過去の境目がわからなくなった時、つながらない単語の話が始まった時は、『海辺のカフカ』のナカタさんと猫のカワムラさんの会話を思い出すようにしよう。真剣に間違いを正そうとしてはいけない。

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