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ブログ 95歳のつぶやき 命日

ブログ 95歳のつぶやき 命日

1月8日から九州場所が始まった。1年前の今頃を思い出す。

95歳だった主人の父は、3ヶ月位前から脚に力が入らなくなり、何度も部屋で転倒した。驚異的な骨力と、柔道の受け身のような身のこなしと瞬発力で、1度も骨折はしなかったものの、転倒したら最後、1人では立ち上がれなくなった。椅子に腰掛けていると、自然に前にずり落ちてお尻が床についたまま動けなくなった。砂袋のようなぐにゃぐにゃの体重50㎏を、持ち上げて移動するのは私の力では到底無理だ。その度に「なんでもっと、こうしてくれない!…」と父は檄を飛ばした。

そして朝と夜が逆転してしまった父は、ベッドで寝るのをやめた。早朝も、昼も夜中もテレビの前の椅子に座ったまま、「何か食うものをくれ」と訴えてくるのだ。どうかしている。1時間おきに食べ続けているのだから。夜中、テレビの液晶の青白い光に照らされる後ろ姿を見るのは怖しかった。

1月10日夕方、床にずり落ちたまま寝た姿勢でお相撲を見ていた父に主人が聞いた。
「お父さん、何が食べたい?」
「寿司」
これが最期の会話になった。

仕事で外出していた私は、主人から「寿司買ってきて」というリクエストに応えて3人分の寿司を買い、駅で待っていた主人の車に乗り込んで帰宅すると、父はすでに息をひきとっていた。NHKの相撲中継の音だけ鳴り響いていた。

脚力以外、健康上どこも悪いところがなかった父は、ホームドクターがいない。相撲中継の時間から日付が変わるまで、救急車、病院、警察、自宅の現場検証で大勢の人々と同じようなことを繰り返し話した。それも全て終わった時、夜中に主人と寿司を食べながら私は全身の力が抜けるように、心の力も抜けた気がした。どうしたものか、何をしたいのか、わからないのだ。この3年半、一切のプライベートがなくなり、永遠に続くように思えた彼中心の生活は、ヨシナリが法であり、衣食住の基準だった。私の心は固まり麻痺した。その間、辛くて苦しくても逃げられなかった。でも泣く場所、泣ける場所があったのは幸いだった。立川のあるお寺の境内は、私にとってはパワースポットで聖地だった。心の固い部分を溶かして吸い取ってもらえた。涙を流す行為が心の浄化につながるのを感じたのだ。私にとってヨシナリの不条理な言葉や行動は、私の心の底に溜まった泥水を絞り出させた。あの時はそう思えなかった。今はわかる。こんな経験はめったに逢えるものではないということを。今ヨシナリの存在に感謝できる。残された私たち夫婦は淋しさを感じない。それはきっとヨシナリがあの世で満足しているからではないかと、ひっそり思うのだ。

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