ペルソナランド通信その2
ペルソナランド通信その2
Goodbyes are only for those who love with their eyes.
Because for those who love with heart and soul there is no such things as separation.
さよならは、見た目で愛し合っている者のためにある
心、魂で愛し合っている者には別れはないのだから
ジャラール・ウッディーン・ルーミーが残した詩だ。私は昔見た、テレビのコマーシャルで白いスカートを履いた男女がくるくると回りながら踊り続ける美しい画像をよく覚えている。あれはルーミーが信仰したスーフィズムの祈りの形だったのだ。
ルーミーは1207年~1273年生きた。アフガニスタンで生まれ、現在のトルコでイスラム教から派生したスーフィズムの流れに大きな影響を与えた。高名な神学者の父、王女の血統をひく母の次男として生まれ幼少期から宗教、学問の道を意識していた子供だった。地元に敵が多く、早くからモンゴル帝国の侵入を予見していた父は一家を連れ、メッカ巡礼の後も流浪の旅を続けた。郷里を追われた一家だったが各地で歓迎も受けた。10年間あまりの旅の途中、母と兄を病気で亡くしルーム地方に定住を決めた時に、ルーミーという名前を自らつける。
イスラム神学、寛大で近代的なハナフィー派を学び修め祈りと瞑想に身を捧げた。1244年スーフィー修行者のとの出会いから、今まで知っていた形式的なものから脱皮した。その修行者を師と仰ぎ、彼の中に神の愛の具現像を見出したのだ。その修業とはアッラーの名を唱え音楽や踊りに陶酔し、無我の心境に達するものだった。その後師は突如失踪し、それをきっかけに、ルーミーは1273年12月17日に地元で亡くなるまで25000~27000句におよぶ抒情詩を生み出すことになる。
現在も毎年12月17日はルーミーと神が合一を果たしたと考え「結婚の夜」と呼んで盛大に旋回舞踏が行われる。彼の人生に関わった場所、アフガニスタン、タジキスタン、トルコ共和国、イラン・イスラム共和国はルーミーを自国の偉人として顕彰している。神秘的な導きによって歩みを進めた彼の人生。国境を越えて人々を、心の共感でつないだ不思議な力だ。
ペルソナランドでこの詩を紹介しています。
https://www.youtube.com/watch?v=PBDd7s4oNRY