ブログ 95歳のつぶやき イデオロギー
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主人の父は95歳。
私は以前、自分がずっと持っていた小さな観音像と如来像を、金子家の仏壇に入れても良いものか聞いたことがある。恐る恐る話を切りだした時、
父は「あ~うちは仏の合宿所みたいなもんだから、なんでも置いていいよ。どぉーぞ!」とこちらもびっくりするくらい明るい返事。私は期待に反するポジティブな答えに感激してしまった。
それから何年もたった今年のお盆。毎年お坊さんがお経をあげに来てくださるのだがその30分前、今年に限ってなぜか丹念に父は仏壇をチェックし始めた。そして、
「こんなものだめだ!すぐ捨てろ!」と私の観音像と如来像を指しながら突然怒鳴り始めた。
まさにこれは父らしい不条理な言い草。私たちはこれをヨシナリイズムと呼んでいる。
軽度のアルツハイマー型認知症かもしれない。自分が言ったことを忘れてしまうのだから。非常に不条理なもの言い、人の言葉に一切耳をかさない。怒鳴りまくる。
私は「お父さんも仏教徒ですよね?観音経あげるでしょう?如来様は宇宙の中心で・・・」と言いかけて自分でも今回は食い下がってるな、と感じた時
父「俺の方が頭がいいんだっ!!」と、驚くほど大きな声をはりあげ咳き込んだ。
私は二つの大事な像を仏壇の下の引き戸の中にしまった。
心の中で「すみません!」と謝りながら。
それで終わり。
父は言葉が出てこなくなると、咳き込んで話が終わる。
「ったく!ヨシナリめ!」と父を心の中で責めたが、その反面これでこそ父だと思うのだ。
最近会話がフラットになり、時々主語もないから何を言っているのかわからず自分でも、もどかしい姿を見ていると気の毒になる。しかし父はずっと若い時から、理論闘争を好み文学や哲学を求めていた頃からヨシナリイズムを炸裂。それで亡くなった主人の母も、主人も心身ともに傷を負った。
しかし利己主義は回り回って自分に不利益をもたらすのが、世の常だ。
周りの人たちは、一線を引いてしまった。
一番孤独なのは、主人の父なのだ。
良い人になった時はあの世に逝く時かもしれない。私は今日もひそかにヨシナリイズムを期待してしまう。